ゴッホ展 巡りゆく日本の夢

憧れたのは「幻の日本」

日本でも毎年のように展覧会が開催されている、人気のフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。今回は「ファン・ゴッホと日本」をテーマに、オランダのファン・ゴッホ美術館と日本側の共同研究で展覧会が実現しました。東京都美術館で開催中です。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁(溪斎英泉による)》1887年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
  • フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887/88年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
  • フィンセント・ファン・ゴッホ《カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ》1887年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
  • (左から)フィンセント・ファン・ゴッホ《タラスコンの乗合馬車》1888年 ヘンリー&ローズ・パールマン財団蔵(プリンストン大学美術館 長期貸与) / フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》1888年 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
  • (左から)フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの女(ジヌー夫人)》1890年 ローマ国立近代美術館蔵 / フィンセント・ファン・ゴッホ《男の肖像》1888年 クレラー=ミュラー美術館蔵
  • フィンセント・ファン・ゴッホ《渓谷(レ・ペイルレ)》1889年 クレラー=ミュラー美術館蔵
  • (左から)フィンセント・ファン・ゴッホ《草むらの中の幹》1890年 クレラー=ミュラー美術館蔵 / フィンセント・ファン・ゴッホ《ポプラ林の中の二人》1890年 シンシナティ美術館蔵(メアリー・E.・ジョンストン遺贈)
  • 《芳名録Ⅱ》1924(大正13)年11月2日付 国立ギメ東洋美術館蔵
  • (左から)佐伯祐三《オーヴェールの教会》1924年 鳥取県立博物館蔵 / 前田寛治《ゴッホの墓》1923年 個人蔵

パリで浮世絵に出会ったゴッホ。西洋絵画には無い色づかいや構図に魅せられ、自身の作品に取り込んでいきます。

顕著な例が《花魁(溪斎英泉による)》。第1章「パリ 浮世絵との出逢い」に、早速登場します。

原本は、書籍に出ていた溪斎英泉の《雲龍打掛の花魁》。印刷の際に左右が反転したため、ゴッホの作品も逆向きです。模写とはいえ、色彩感覚やモチーフの処理は、ゴッホならではの解釈です。

第2章は「アルル 日本の夢」。1888年2月、喧騒のパリから南フランスのアルルに移ったゴッホ。陽光と色彩にあふれたこの地に、日本のイメージを重ね合わせました。

第3章は「深まるジャポニスム」。アルルでの生活を重ねる中で、ゴッホはさらに日本に傾倒します。平面的な色面、はっきりとした輪郭線と、浮世絵からの影響が顕著です。

第1~3章


続いて「日本人のファン・ゴッホ巡礼」。図録では5章ですが、先に登場します。

ゴッホで1890年に死去。没後20年ほど経つと、日本でのゴッホ受容が始まります。当初は白樺派の人々が中心でした。

大正から昭和になると、渡仏した日本人は、ゴッホが没したパリ北部のオーヴェールへ。ゴッホの最期を看取った医師、ポール=フェルディナン・ガシェの家が、聖地のようになりました。

展覧会では、ガシェ家に残された日本人の芳名録が初来日。里見勝蔵、佐伯祐三、前田寛治らの名前が見てとれます。

最後は、4章「自然の中へ 遠ざかる日本の夢」。ゴーガンとの共同生活が破綻したゴッホ。日本人の共同生活をモデルに芸術家の共同体をつくるという夢はかないませんでした。

ただ、その後の作品を見ても、自由な空間構成などに、日本美術からの影響が感じられます。

第5章、第4章


日本を訪れた人との接触はあったものの、ゴッホ自身は日本を訪れた事はありません。また、日本に対するイメージも、ピエール・ロティの小説「お菊さん」(やや偏見に満ちた描写もあります)などの影響を受けており、必ずしも正確ではありません。

ゴッホが憧れ続けた日本は、ゴッホの頭の中にしか無かったのは、やや皮肉にも感じれます。

北海道立近代美術館で始まった本展、東京展の後は、京都国立近代美術館に巡回します(2018年1月20日~3月4日)。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年10月23日 ]


料金一般当日:1,600円、他有り
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ミュージアムの詳細

展覧会の詳細

会期

2017年10月24日(火)~2018年1月8日(月)