シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才

知られざるロマン主義の天才

ロマン主義を代表する画家の一人である、テオドール・シャセリオーを日本で初めて本格的に紹介する展覧会が、東京・上野の国立西洋美術館で開催中です。

  • テオドール・シャセリオー《カバリュス嬢の肖像》1848年
  • 左)テオドール・シャセリオー《黒人男性像の習作》1837-38年 モントーバン、アングル美術館
  • 左から)テオドール・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年頃 パリ、個人コレクション、テオドール・シャセリオー《アポロンとダフネ》1845年 パリ、ルーヴル美術館
  • テオドール・シャセリオー《泉のほとりで眠るニンフ》1850年 フランス国立造形芸術センター(アヴィニョンカルヴェ美術館に寄託)
  • 左から)テオドール・シャセリオー《狩りに出発するオスカール・ド・ランシクール伯爵の肖像》《狩りに出発するランシクール伯爵夫人の肖像》共に1854年 モントリオール美術館
  • 左から)テオドール・シャセリオー《雌馬を見せるアラブの商人》1853年 パリ、ルーヴル美術館(リール美術館に寄託)、オーギュスト・ルノワール《ロバに乗ったアラブ人たち》18881-82年頃 箱根、ポーラ美術館
  • ブラウン・クレマン社《会計検査院の建物のためのシャセリオーの装飾壁画の断片》1890年 パリ、オルセー美術館
  • 左から)テオドール・シャセリオー《十字架を持つ若者と天使の習作》1852-53年 パリ、ルーヴル美術館(プティ・パレ美術館に寄託)、テオドール・シャセリオー《エチオピアの女王の宦官》1852-53年 ポワティエ美術館
  • シャセリオーに関連する資料

テオドール・シャセリオーは1819年生まれ。カリブ海のイスパニョーラ島(現ドミニカ共和国)で生まれます。フランス帰国後、古典主義の巨匠、アングル門下に11歳で入門を許可された早熟の天才で、「やがて絵画のナポレオンになる」と将来を期待される存在でした。

ですが、後にアングルと対立するロマン主義のドラクロワに傾倒。その迫力ある色彩や躍動感ある描写を取り入れつつ、独自のエキゾチックで抒情的な表現を追求していきます。

会場風景


《泉のほとりで眠るニンフ》は、図像は草上のニンフの伝統を踏まえていますが、生身の女性の色香が写実的な表現から感じられます。モデルは女優のアリス・オジーで、シャセリオーとは2年間交際していました。

展覧会のポスターに用いられた《カバリュス嬢の肖像》は、当時パリで最も美しい女性の一人と言われたマリー・テレーズ=カバリュスを描いた作品です。

テオドール・シャセリオー《泉のほとりで眠るニンフ》1850年、《カバリュス嬢の肖像》1848年


26歳の頃にアルジェリアを旅行したシャセリオーは、異国情緒あふれる作品を多く描くようになります。

当時、アルジェリアがフランス領になったこともあり、多くの画家が北アフリカを旅し、作品を描きましたが、特に母子を中心にした家族の風景を多く描いたのはシャセリオーの特徴です。異国生まれで、家に不在がちであった外交官の父を早くに亡くしたことが、シャセリオーの作風に影響したと言われます。

「4 東方の光」会場風景、テオドール・シャセリオー《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年、「5 建築装飾━寓意と宗教主題」会場風景


シャセリオーは会計検査院の階段室壁画を描いていますが、1871年に起きたパリコミューンで会計院は破壊、壁画もほとんどが燃えてしまいます。現在は残された記録写真や、救出された壁画に基づくタピスリーなどから、当時の面影をしのぶしかありません。

37歳で早逝、そして代表作の破壊により、表舞台からは姿を消すシャセリオーですが、モローやシャヴァンヌなど、次世代の画家たちに大きな影響を与えました。展覧会にはシャセリオーから影響を受けた画家たちの作品も展示されています。

シャセリオーは作品数が限られるため、本国フランスでも1933年と2002年に回顧展が開催されただけ。日本で大規模な展覧会が開かれる機会は大変まれなことと言えます。巡回はなく東京展のみの開催です。
[ 取材・撮影・文:川田千沙 / 2017年2月27日 ]

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ミュージアムの詳細

展覧会の詳細

会期

2017年2月28日(火)~5月28日(日)