プーシキン美術館展 ─ 旅するフランス風景画

風景画の歩みを展観

モスクワのプーシキン美術館から、17世紀から20世紀の風景画65点が来日。風景画というジャンルの成立から、想像による風景画が描かれるまで、フランス近代風景画の歩みを総覧。印象派の誕生前夜、26歳のモネが描いた《草上の昼食》は初来日です。

  • 《草上の昼食》クロード・モネ 1866年
  • 《エウロペの掠奪》クロード・ロラン 1655年
  • (左から)《ルイ14世の到着・ヴァンセンヌ》アダム・フランス・ファン・デル・ムーラン工房 17世紀末 / 《ナミュール包囲戦、1692年》ジャン=バティスト・マルタン 17世紀末-18世紀初め
  • 《牛のいる風景》ジュール・コワニエ/ジャック・レイモン・ブラスカサット 19世紀前半
  • 《パリ環状鉄道の煙》ルイジ・ロワール 1885年
  • 《サン=ミシェル大通り》ジャン=フランソワ・ラファエリ 1890年代
  • (左から)《庭園の木々》ポール・セザンヌ 1885-87年 / 《サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め》ポール・セザンヌ 1882-85年
  • 《夏、ダンス》ピエール・ボナール 1912年
  • (左から)《ポリュフェモス》モーリス・ドニ 1907年 / 《東方の風景》ジャン・リュルサ 1892年

美しい風景を絵にする。現在ではごく一般的な行為ですが、18世紀の後半までは、そんなことをする画家はいませんでした。

それまでの画家が描いてきたのは、宗教や神話、歴史、王侯貴族の肖像など。主題を引き立てるための背景として描かれていた風景が、17世紀のオランダで「風景画」として独立し、フランスの画家たちにも広がっていきました。

19世紀になって市民階級が伸長してくると、風景画の世界も変化します。都市で暮らす市民にとって、無名の農民が暮らす農村の風景画は憧れの対象。バルビゾン派の画家たちは、分かりやすい題材を、手頃なサイズで描きました。

第1章「近代風景画の源流」、第2章「自然への賛美」


1853年、ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンがセーヌ県知事に就任。彼が辣腕をふるった「パリ大改造」により、パリは近代都市として生まれ変わりました。

この時期に整備されたパリ環状鉄道(1850~60年代に敷設)、三連のサン=ミシェル橋(1857年建造)など、近代化したパリの風景を多くの画家が描いています。

中産階級が余暇として郊外に出かけるようになると、画家たちも戸外にカンヴァスを持ち出します。このころに開発されたチューブ入り絵具も、画家の活動を後押ししました。

クロード・モネの《草上の昼食》は、パリ郊外のフォンテーヌブローの森で描かれた作品。モネはサロンに送る大作として着手しましたが、結局未完に(その作品はオルセー美術館蔵)。プーシキン版の《草上の昼食》は最終下絵として描かれ、大作が未完に終わった後に、手を加えて完成したもの、と位置づけられています。

オルセー版《草上の昼食》は後年に切断された事もあり、描かれているエリアはプーシキン版の方が広く、細部には謎めいた描写も。レアリスムから印象派へ向かうモネによる、興味深い作品です。

第3章「大都市パリの風景画」、第4章「パリ近郊 ── 身近な自然へのまなざし」


鉄道が発達すると、風景画の世界も拡大します。パリの画家たちはフランス中部から南フランスまで足を伸ばし、高低差がある地形、地中海のまばゆい光などが創作意欲を刺激しました。

南仏プロヴァンスでサント=ヴィクトワール山を描いたセザンヌ。スペインとの国境に近いコリウールには、ドランとマティスが滞在し、この地でフォーヴィスムが誕生しました。

万国博覧会で異国の文化がもたらされると、画家たちの関心は海の向こうまで広がりました。

ゴーガンは熱帯への想いを募らせ、フランスの植民地だったタヒチへ。ルソーは現地にこそ行きませんでしたが、想像を膨らませてジャングルの風景を描いています。

第5章「南へ ── 新たな光と風景」、第6章「海を渡って / 想像の世界」


モネをはじめロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーと、西洋画好きにはたまらない豪華なラインナップです。東京展の後に、大阪に巡回します(国立国際美術館:7/21~10/14)

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年4月13日 ]


料金一般当日:1,600円
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会期

2018年4月14日(土)~7月8日(日)