明治維新150年 幕末・明治 ― 激動する浮世絵

変化に向き合った浮世絵師たち

今年は明治維新からちょうど150年。太田記念美術館では、この時期の浮世絵を紹介する展覧会が開催中です。体制も風俗も絵画技法も大きく変化する中、絵師たちはさまざまな表現を試みました。

  • (左奥から)作者不詳《子供遊 角力》慶応4年(1868)頃 / 月岡芳年《東台 山王山戦争之図》明治7年(1874)
  • (左から)小林清親《漁火図》 / 河鍋暁斎《達磨耳かき図》
  • 作者不詳《神恵朋世記》慶応4年(1868)頃
  • 落合芳幾《五ヶ国於岩亀楼酒盛の図》万延元年(1860)12月
  • (左から)豊原国周《四代目中村芝翫の吃又平 六代目坂東三津五郎のおとく 五代目尾上菊五》 / 豊原国周《大谷紫道の典侍の局 河原崎三升の平知盛 五代目尾上梅幸の相模五郎》明治3年(1870)
  • (左奥から)豊原国周《開化三十六会席 上野 西洋軒》明治11年(1878) / 楊洲周延《欧洲管絃楽合奏之図》明治22年(1989)5月
  • 豊原国周《西南雲晴朝東風》明治11年(1878)3月
  • (左奥から)小林清親《浜町より写両国大火》明治14年(1881) / 井上安治(探景)《磐梯山噴火の図》明治21年(1888)7月
  • (左から)尾形月耕《花美人名所合 亀戸臥龍梅》明治28年(1895)12月 / 尾形月耕《花美人名所合 滝の川の紅葉》明治29年(1896)10月

大政奉還、王政復古を経て、明治改元されたのが1868年。日本は、近代国家に向けて大きく舵を切りました。

浮世絵の世界に目を向けると、広重は10年前(1858年没)、国芳は7年前(1861年没)、国貞(三代豊国)は4年前(1864年没)に死去。現役バリバリは、それぞれの門人である二代広重、月岡芳年、豊原国周らでした。

会場ではいつものように、畳敷きスペースの肉筆画から。小林清親《漁火図》からは、西洋画の影響を感じます。

幕末に勃発した様々な事件は、浮世絵師にとって格好の題材でしたが、江戸時代は体制に影響を与える表現は御法度です。別のモチーフによる風刺画として描かれたため、読者は隠された主題を読み解きながら楽しみました。

外国人も浮世絵に描かれるようになります。伝聞の情報を想像力で補っているため、描かれた事象は事実とはかなり違いますが、この手の浮世絵は、それが大きな魅力でもあります。

展示室1階


色に着目すると、大きく変わったのが「赤」。安価な人口顔料が輸入され、発色の良い赤は多用されました。毒々しさゆえに現代では評価されませんが、時代の高揚感を示しています。

文明開化によって都市も西洋化。洋風建築、石造りの橋、そして蒸気機関車など新しい風景を描いた浮世絵は「開化絵」と呼ばれました。

鹿鳴館での合唱を描いたのが、楊洲周延《欧洲管絃楽合奏之図》。左上に唱歌「岩間の清水」の楽譜が入っているのはユニークです。

多くの絵師によって繰り返し描かれたのが、西郷隆盛です。維新の立役者が遠い九州の地で最期を迎えた事は、庶民にとって大ニュース。大衆の求めに応えて、さまざまな西郷が描かれました。

展示室2階


西洋画や写真など新しい技術が導入される中でも、歩みを止めずに社会に向き合っていた浮世絵師たち。美術としての注目度は下がりますが、「人が見たいものを描く」という強いエネルギーは健在です。

展覧会は2月2日から後期展に入っています。残り1カ月弱、お見逃しなく。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年2月1日 ]

ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付ようこそ浮世絵の世界へ 英訳付

日野原 健司 (著)、太田記念美術館 (監修)

東京美術
¥ 2,160


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ミュージアムの詳細

会期

前期:1月5日(金)~28日(日) 後期:2月2日(金)~25日(日)